朝になると、おなかが痛くなる。制服に着替えようとすると、涙が出る。学校の門までは行けても、その先へ足が動かない。
不登校の子どもの話を聞くとき、私たちはつい「何があったのだろう」と原因を探します。いじめだろうか。勉強についていけないのだろうか。家庭に何か事情があるのだろうか、と。
けれど、理由はいつも一つではありません。教室のざわめきが苦しい子もいます。みんなと同じ速さで動くことに疲れてしまう子もいます。先生との関係、友人との距離、校則、宿題、給食。大人から見れば小さなことが、毎日積み重なって、心をいっぱいにしてしまうこともあります。
文部科学省の調査では、小中学校の不登校の子どもは約30万人を超え、過去最多を更新し続けています。これほど多くの子どもが、学校へ行けない、あるいは行かない選択をしている。問題は本当に「学校に行けないこども」にあるのでしょうか。
うちの子が、学校に行きたがらなくて。無理にでも行かせるべきか、休ませていいのか、毎朝わからなくなるんです。

その迷いは、当然だと思います。ただ、問いを少しだけ変えてみませんか。「どうやって学校に戻すか」ではなく、「この子は、どこでなら安心できるか」へ。
戻すこと以外の道を、考えてもいいんですね。
合わない靴を、履き続けさせていないか
以前、知人の子どもが学校へ行けなくなりました。その子は、決して勉強が嫌いなわけではありません。本を読むのが好きで、興味を持ったことは大人が驚くほど深く調べます。でも、大人数の教室で、決まった時間割に沿って、同じ答えを求められることが、苦しかったそうです。家にいると元気なのに、「学校」という言葉が出た途端、表情が曇る。
知人は当初、「何とか戻さなくては」と焦っていました。周囲からも「休み癖がつく」「今のうちに頑張らせないと」と言われたそうです。
「もっと頑張って歩こう」と言うでしょうか。
靴擦れで血がにじんでいるなら、必要なのは根性ではありません。立ち止まること。靴を脱ぐこと。そして、その足に合う別の靴を、一緒に探すことです。学校に合わないことも、それに近いのではないでしょうか。
これまで不登校は、子どもが乗り越えるべき「問題」として語られがちでした。けれど、学校に通う子どもが増えることだけをゴールにすると、その子が何に苦しみ、どんな環境なら安心して学べるのかが、見えにくくなります。「学校に戻れたか」ではなく、「その子が自分らしく、学べているか」。ものさしを少し持ち替えるだけで、見える景色は変わります。
フリースクールは「学校の代わり」だけではない
そこで大切になるのが、フリースクールをはじめとする、学校外の学びの場です。フリースクールと聞くと、「不登校の子が一時的に通う場所」という印象を持つ人もいるかもしれません。もちろん、心を休め、生活のリズムを取り戻す場でもあります。でも、それだけではありません。
少人数でじっくり話を聞いてもらえる。好きなことから学びを広げられる。料理や畑仕事、音楽、ものづくりを通して人とつながれる。何もしない時間さえ、急かされずに過ごせる。そこには、教科書のページ数だけでは測れない学びがあります。
近年は、フリースクールのほかにも、自然体験を軸にした学校、子どもの自主性を尊重する場、オンラインで学べる環境など、オルタナティブ教育の選択肢が少しずつ広がっています。オルタナティブとは、「もう一つの選択肢」という意味です。
大切なのは、従来の学校と競わせることでも、否定することでもありません。公立学校が合う子もいれば、少人数の場で力を発揮する子もいる。毎日通いたい子もいれば、週に数日から始めたい子もいる。子どもが多様なら、学び方も多様でいい。それは、特別な子どものための特別な話ではなく、誰にとっても「選べる場所がある」という安心を、社会に増やす話です。
「行ける場所」が、一つ増えるということ
一方で、フリースクールには課題もあります。地域によって数に差があり、近くに通える場所がない家庭もあります。利用料がかかり、経済的な負担が大きいこともあります。運営者の熱意に支えられているところが多く、続けることの難しさもあります。
多様な学びを「選べる」と言いながら、住む場所や家庭の収入によって選択肢が狭まるのなら、それは本当の意味での選択とは言えないでしょう。だからこそ、不登校を家庭だけの責任にしないことが大切です。子どもの居場所を、社会全体で支える仕組みが要ります。
そして実際に、こういう学校をつくり、地域に根づかせ、続けようとしている人たちがいます。採算や制度の壁にぶつかりながらも、「ここなら自分らしく息が吸える」と子供たちが思える場所を、守ろうとしている人たちです。
とはいえ、私たち全員が学校をつくる必要はありません。身近な子どもが立ち止まったとき、「どうして行けないの?」より先に、「いま、どんな気持ち?」と聞いてみる。保護者に「大変だね」だけでなく、「何かできることはある?」と声をかけてみる。近くの学びの場を、一度調べてみる。そんな小さな行動も、多様な学びを支える一歩になります。
学校に行かないことが「悪」なのではありません。自分に合う学校が見つかっていないだけなのです。ただ、その子に合う道が、他の子たちの道とは違っただけかもしれない。もし目の前の子どもが立ち止まっていたら、元の道へ急いで戻すのではなく、一緒に地図を広げてみる。その地図に、まだ知らない小道を一本、描き足してみる。私たちにできることは、案外そこから始まるのではないでしょうか。
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